こんにちは!Murumuです。
今回は育児ではないですが、私が以前からずっと引っかかっていたことについて言語化してみました。
つたない文章ですが最後まで読んでいただけると嬉しいです。
- 1. 休日の過ごし方と、あの言葉へのモヤモヤ
- 2. 「家族サービス」って、いったい何を指すのだろう?
- 3. 「体にムチ打って」は本当に美談なのか?
- 4. 違和感の正体:「負担」という前提への疑問
- 5. 家族との時間は「義務」ではなく「活力」だ
- 6. じゃあ、どう呼ぶべき? 私たちが選ぶ「家族との時間」の新しい名前
- 7. まとめ:あなたの休日は、誰のためのものですか?
1. 休日の過ごし方と、あの言葉へのモヤモヤ
突然ですが、せっかくの休日皆さんは家族とどのように過ごしていますか?
例えば子どもと公園に行ったり、妻と散歩に出かけたり、あるいは週末のまとめ買いに付き合ったりと人それぞれ様々かと思います。
私たちは皆、平日の仕事の疲れをリセットしつつ、家族との時間を大切にしています。
その中で、ふと耳にする、あるいは自分で口にしてしまう言葉があります。
「家族サービス」
この言葉を耳にするたびに私は毎回モヤモヤとした、小さな違和感を覚えてしまいます。なぜ、大切な家族と過ごすかけがえのない時間を、まるで誰かに「尽くしてあげている」かのような「サービス」という言葉で表現しなければならないのでしょうか。
この違和感の正体を探り、私たちにとっての家族との時間の本来の姿について考えてみたいと思います。
2. 「家族サービス」って、いったい何を指すのだろう?
まず、世間一般で「家族サービス」とは何を指すのでしょうか? 辞書的な定義を引用すると、以下のようになります。
俗に、家族のために尽くすこと。ふだんは仕事で忙しい人が、休日に家族と一緒に食事に出たり遊びに行ったりなどして、くつろいで過ごすこと。
家族サービス(カゾクサービス)とは? 意味や使い方 - コトバンク
この定義に従うと、私の休日の行動も完全に「家族サービス」の範疇に入ります。
私は週末によく、家族みんなで買い物に行き、美味しいものを買って家で楽しんだり、外食をしたりします。それ以外にも、子どもたちと公園で思い切り遊んだり、家族で一緒に散歩に出かけたりもしています。
定義に照らせば、これらは「ふだん忙しい私が、家族のために尽くしている」時間ということになります。
3. 「体にムチ打って」は本当に美談なのか?
「家族サービス」という言葉が持つ、最も象徴的な「義務感」や「自己犠牲」のイメージを考えてみましょう。
かつて大ヒットしたFUNKY MONKEY BΛBY'Sの楽曲『ヒーロー』には、多くの人が知るフレーズがあります。
「体にムチ打って家族サービス また迎える月曜日」
父親が頑張る姿を描いたこの歌は感動的ですが、この一節にこそ、私が覚える違和感の正体が凝縮されています。
なぜ、愛する家族との楽しいはずの時間が、「体にムチ打って」まで実行しなければならないサービスでなければならないのでしょうか?
この歌詞は、家族との時間を「苦痛を伴う自己犠牲」や「義務としての労働」として捉える社会の一般的な認識を如実に表しているように感じます。多くの人にとって「家族サービス」とは、自分の心身を削ってでもやるべき、大変なものだという前提があるのです。
4. 違和感の正体:「負担」という前提への疑問
では、なぜ家族との時間が「サービス」と呼ばれたり、「体にムチ打つ」ほどの「負担」として語られるのでしょうか?
私は休日、家族と買い物に行き、外食をし、散歩に出かけ、子どもと遊んでいます。これらは世間的には「サービス」ですが、私自身は、それが心から「負担だ」と感じているかというと、そうではありません。
もし負担だと感じているなら、「サービス」という言葉を使うのは納得がいきます。しかし、私には、自分の家族と一緒に過ごすことのどこにそんなに大きな負担を感じるのかが理解できません。
「家族サービス」という言葉の根底には、「自分にとって本当に楽しいことではないけれど、家族のために我慢してやっている」という前提がある。私の違和感は、この「負担という前提」自体が、自分の家族との時間の感覚とズレていることなのです。
こういった少しずつのずれが将来とんでもないことにつながるのでは。。。
5. 家族との時間は「義務」ではなく「活力」だ
せっかくの休日です。義務感や自己犠牲からではなく、心から家族と楽しく過ごすのが一番いいと思いませんか?
私にとって、休日の家族との時間は誰かに対する「サービス」ではありません。それは、平日の仕事で消耗した心身を回復させる大切な「リフレッシュタイム」です。
家族と笑い合い、何気ない時間を共有し、子どもと真剣に遊ぶ。この時間が、私自身の精神的な満足度を高めエネルギーを満たしてくれます。
つまり、家族との時間こそが平日の仕事への活力になるのです。
「サービス」ではなく、自分自身が満たされるための時間。そう捉え直すだけで、「やらされている」という義務感は消え去り、「共に楽しんでいる」という喜びと充実感だけが残ります。
6. じゃあ、どう呼ぶべき? 私たちが選ぶ「家族との時間」の新しい名前
「家族サービス」という言葉が持つ「義務感」を手放すために、私たちはこの時間をどのように表現し直せばよいでしょうか。
私にとって、この時間は「平日の活力」を生み出すものです。
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サービスではなく、「リフレッシュタイム」
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サービスではなく、「家族との共有時間」
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サービスではなく、「自己肯定感を満たす時間」
誰かのために尽くす「サービス」ではなく、自分自身の生活と未来を豊かにするための「人生への投資」であり「生活の延長」なのです。
7. まとめ:あなたの休日は、誰のためのものですか?
「家族サービス」という言葉に違和感を覚えるのは、私たちが家族との時間を、「自己犠牲」ではなく「喜び」として認識し始めている証拠ではないでしょうか。
体にムチ打つ必要など、ありません。
心から楽しみ、笑い、リフレッシュできる家族との時間。それは、あなた自身のエネルギー源であり、何にも代えがたい大切な時間です。
もしあなたが今、「家族サービス」という言葉にモヤモヤを感じているなら、一度立ち止まって問いかけてみてください。
「あなたの休日の家族との時間は、誰かのための『サービス』ですか? それとも、自分自身の『活力』ですか?」
私たちが使う言葉が変わることで、家族との時間のあり方も、きっと変わっていくはずです。
最後まで閲覧いただきありがとうございました。
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